日本の兵器産業
兵器生産が「企業秘密」の領域を拡げている一例に、武器輸出があります。
すでに日本の兵器産業は、ベトナムをはじめ、タイ、ビルマ、台湾などに榴弾、銃弾を輸出した実績をもち、67年の「武器輸出三原則」以降も、フィリピンへの銃弾プラント(豊和工業)、火薬プラント(ダイセル)などのプラント輸出が続きました。
武器輸出が全面的に禁止となった76年2月の「新3原則」以降にも、78年に明るみに出たフジ・インダストリアル事件は、はからずもそこに部品輸出という抜け道のあったことを明らかにしています。
それは、フジ・インダストリアルという中小企業が弾丸メーカーの日本工機から手投げ弾の設計図のコピーを入手。
76年より「消火器部品」と偽って都内のダイカスト工場などに分散発注、横浜港からフィリピンに向けて撃鉄、撃針、撃鉄.バネ、ヒンジピン、安全リング、安全ピン、雷管押えなど91万2000個を船積していた事件です。
輸出した部品はフィリピンの陸軍基地で、現地人を使って組み立て、爆破実験して納入していたといいます。
社長は、
「大企業でも武器輸出をしているところがたくさんあるのに、なぜ、いつも小さなところだけが当局の取調べの対象になるのか。
大商社だってみな同じような輸出をやっている。
彼らの場合は隠すのが巧妙なだけではないか」(『朝日新聞』78年7月22日)
・・・と語っていますが、この事件は氷山の一角を示すものといえるでしょう。